どこか正解を求めるところがあるのか,物を作るより理を究める学生生活を選んだのはそういうわけかと思う.数学や物理は自然を説明するという文脈で検証される.情報科学も仕様に基づいて正しく動くプログラムを書くことが正解を導く経験に似ている.物を作ることは好きだったが,人に好まれよく売れる製品を作り出すことには関心がない学生だった.
本当は正解はない.よく売れる法則とかが書かれた本はある.工学,特にプログラミングは動くものを作る技術をまず身に付けないとやっていけない.だから経験が短いほど正解があると思いやすい.正解を作れば売れる.そう信じやすい.正解は発見した人の後付けだと分かっていても,発見者や発明者の功績を利用し,後塵を拝してものを作るのだ.
でもどうやら売れるものは正解を求めて考えられたものとは限らなそうだ.流行,人に良いと思ってもらえるもの,それらには,ものすごく苦労して発明したもの,散々絶望して見出した真理というように,人陰の苦心惨憺が隠れているものであることが多い.貧乏で困窮しているときに書いた小説,自殺に悩んでいたときに見た夢のような発見.そうした話しが付随することは人の心を捉える.
正解はある.でもそれは多くても一生に数回しかないだろう.なぜなら苦労し続ける人生を選ぶには,成功を積み重ねない方が良いからだ.もし正解をたくさん成し遂げたいなら,人知れず生み出し,死後に公表されるように世には隠すという方法が最善だ.お金儲けしてはならないし,結婚も子育ても,富も生前の名誉も,未経験の人生.何をしても何も言われない.そんな境遇に堪えられる人こそ真に偉大である.私はそんな人生を選べなかった.

コメントを残す