きょうは馬肉会.席上で近況報告の後,近所の公園で学問談義.エゼキエル3:18-21から引き出した「エゼキエル表」について.エゼキエル表とは,悪人と義人の違いを示す真理表.悪人を戒めず,彼は道を改めないので,悪人は死に,自分も戒めなかったので死ぬ.悪人を戒めて,道を改めないので,悪人は死ぬが,自分は戒めたので生きる.これは悪人の真理表.しかし,義人は異なる.
義人は,戒めなければ,義人は死に,自分も戒めなかったので死ぬ.ここまでは同じ.ところが,義人は戒めに従うので,義人は生き,戒めた自分も生きる.エゼキエル表は,悪の道から外れるよう戒めたときの反応で,悪人と義人を分ける.両者の違いはただ一つ,戒めを受け入れるかである.受け入れれば義人,受け入れないのなら悪人だ.
この悪人と義人の条件は,人工知能に応用可能だと云うのが本日の収穫.人工知能に善悪を判断させるにはという議論を見たことがある.エゼキエル表によれば,ことばを受け入れれば善,受け入れなければ悪といえる.ことばを常に受け入れるとしても,悪い状況にあるとき,そこから脱することばをかける,という前提条件があるから,いつも何でも受け入れるのでは悪を教えてしまえる.善い状況では逆にことばを何でも受け入れないほうが善だろう.
状況判断と命令受容が善悪の基準になる.この話のほか,ケインズは随筆で「次の世紀に経済問題が解決した後は讃美歌を歌う生活が待っているが,どれほどの人たちが歌うことができるかは疑問だ.」というようなことを書いている.この文句が経済学者の間で大変有名だと聞けたこと.経済学者は皆読んでいるらしい.私はこの随筆を読んで合唱団に入ろうと思った.その名文句が有名なことを知れて内心感激した,そんな馬肉会だった.

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