いじめの世界は単純な行動律に従って動く.ハンムラビ法典の「目には目を歯には歯を」つまり「やられたらやり返す」ならまだいいほう.ホッブズの「皆がひとりひとりに対する狼」であり,その行動律は「死ねといわれたら死ぬしかないだろう」.まさに死活問題だ.いじめる側の一言で,死んでしまうのだから.それも自己都合の自死へ追い込まれ,いじめる側は無罪を云い張れる.
死ねといわれたら,死ぬしかない.そうして死んだ生徒は少なくない.親の言うことに従順ないい子が,いじめる側の言うことまで聞いてしまう.臭いといわれたら臭いのだろうし,デブといわれたらデブなのだろう.馬鹿かといわれたら自分は馬鹿だと思うのと同じ.誰でもそういう面はある.自分の属性として受け止め,不変の性質と納得した時点で,その人から一生離れられない記憶になる.
誰だってそうなのだから,なんかいい受け取り方はないのかと考えた.例えば,私は昔,馬鹿かといわれたので今でも「自分は馬鹿だ」と思うし,馬鹿で開き直っている.中年になった最近はオヤジ臭の年齢に差し掛かっており,誰かから「この人は臭い」と思われるだろうと考えている.高校では死ねといわれ続けたので,それからいろいろ死のうと試みたがそう簡単に死ねなかったので「私はすぐ死ぬべきだがいつかは必ず死ぬ」と思うことにしている.
いじめていじめられた時代は,生きるか死ぬかの毎日で,いつ死んでもいつ殺してもおかしくなかった.それは成人してからしばらくは続いた.何によってその世界が終わったかといえば,初恋の相手の出現つまり愛であった.それから世界観ががらっと変わっていくのだが,とどめはアガペーつまり神さまの愛だ.そう思うと,いじめの解決には愛が必要で,それ以外の手段はかなわない.生殺与奪の世界にいるなら教会へ逃げ込んでみてほしい.

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