東京は人間の住むところではない.そう父はよく言っていた.父だって学生時代は東京に住んでいたから,体験に基づく話であることは確か.しかも上京して初めてできた友人と共同で生活していたのだから,余程何か事件らしいことが起こったのかもしれない.父は大学を卒業すると東京には暮らさず,郊外に仕事と家庭を持った.私はその地で生まれ育ったので,東京で暮らしたことはない.
私と東京の出会いは,高校3年の時,高校を中退して平日にひとりで建築水彩を描きに行ったときだ.それから2年間は東京に足繁く通った.通信制高校の生徒だった時も,浪人生だった時も,国立大学1年生だった時も.東京から抜け切れず,私の青春は東京と共にあり,宮下公園や上野御徒町や現代建築の名所が,今でも私の青春を象徴している.だが,暮らしたい街ではなかった.父の云うように.
今私は横浜に暮らしている.高校3年の時から横浜の今住んでいるあたりで暮らしたいとうっすら思っていてそれが叶った恰好だ.私の育った郊外の街も住むには好い場所だったけど,高校中退時から地元と縁を切りたい思いが強く,別の場所で職と住居とパートナーを見つけねばならなかったが,すべてにおいてちょうどいい環境に巡り合った.神さまに祈りが届いたからだと思っている.
東京には繰り返し訪れたい魅力があるが,住みたい魅力は感じない.でも,東京に暮らしている人は実際1,000万人以上いるのだ,東京で生活したい人だって世には多いのだ.東京とひと口に括ってもあまり意味はないけど,私は父のことばが過って,この横浜の片田舎の風情の残る街がどうも好きで,夜の部屋の窓から覘く静かな住宅地の灯りたちが,物事の速度を早めない暮らしを示しているようで落ち着くのだ.こういう暮らしもある,そしてそれが多数派なのだと.

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