昔の自分なら,きょう辞表をまとめて明日提出しているだろう.そろそろ限界が来たと感じる.コミュニケーションすなわち報連相の無理性,理解の正確性,指示通りに働く拘束性.どれも自分の育ちには合わない.社会人なんだし,環境としてよい職場だし,やめるのは勿体ない.そう言われそうだ.だから自分はそういう面を一歩発展させてこう考える.少しぐらい職場に迷惑を掛けたって,私は居座り続けると.
迷惑を掛けて良いはずなのである.1日で1回も失敗しないで働くことが正しいのではない.むしろたくさん失敗して猶も続ける働き方のほうが正しい.失敗を認めないような職場ではないから鷹揚に構えていい.だから本当は,上司の指示を指示通りにこなしていくより,よく話し合い提案もし,実のある議論を建て上げるほうが良いに決まっている.指示通りにできてからの話だともいうが,そうとも限らない.
こまめに報連相し,正しく理解し,間違いなく実行する.これが求められる社員像だと妻は云う.今まで参考にもしてきた.そういう職種や職場は多い.人命や健康や安全に関わる仕事は特にそうだろう.しかし私はウェブであり情報通信技術を扱う.職務の影響範囲は,広く見えるが実際は狭い.命が失われるほど危険でもない.だから私は職場に合った考え方で働いていいのだ.忠告はどんな業種にも当てはまるのではない.
恐らく,今の職場での働き方を確立することについて私は悩んでいる.上司の影響下で発言力もなく,かといえ発言したいとも思わない性で,言われたことを仕様にまとめ,プログラムで実現する腕を振るうところに甲斐を見出している,ある面いかにも厄介な社員が私である.どうやら私は,安定できる考えを確立できれば,安定して勤務できるほどの評価と立ち位置は確立できている.あとは私の内面闘争の決着次第だ.

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