古典音楽を聴いている.ショパン「別れの曲」,ベートーヴェン「月光」と「熱情」,チャイコフスキー「悲愴」.繰り返し聴いている.いずれも有名どころ.メロディを聞けば,曲名が出なくとも,作曲家が当てられなくても,誰にでも馴染みがある.誰でも知っている音楽を聴くと,もっと知られざる名曲がふんだんにあるのだろう,1曲でも歴史に名を遺した作曲家がまだ多くいるのだろう,そして,普段鼻歌で歌っては消える好ましい旋律が数多く存在しうるのだろう.そういう可能性に大いに惹かれる.
音楽は完成した,もう歴史を振り返ることしかできない,偉大な作曲家の後を追って演奏し歌うのみ.そんな考えになりがちだ.素晴らしい古典音楽に数多く触れるたびそう思う.しかし,よく聴くと,美しい音の組み合わせ,未知の旋律の可能性,未踏のスタイルや現代の曲想など,実はまだ作られていない音楽はたくさん埋もれていて,人間に発見されるのをずっと待ちわびられているのではないか.
美は発見される.自然を隈なく見晴らかしても,やはりすべては知れないもので,ひとりの人間がすべて知るなんてことは起こり得ない.まだ見つけられていない美しいメロディは実は沢山あるということを,ある人は「音楽は無限にある」と云った.だから私は音楽を,新たに発見してみたいと思った.新たに発見する.切り取るということ,変換すること,先人の肩に乗って聴くこと.
鋭い質問,本質を突く言い換え,意外な視点.そういった普通をずらす手法のうちに,新しいメロディは見つかる.物理法則はそうやって発見を重ねて体系になった.見つかることへの方法論,これを芸術に応用し,数多くの美を記録していきたい.旋律の型録を編纂し,それを抽斗に組み合わせ,作曲する方法で,古典の風采を纏いつつ現代に通用する普遍性を持つ音楽を見つけたい.

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