もう少しはっきりと物事を理解してもいいのでは.そう思った.よく,私は理学の修士号を持っていますというと意外だと思われることが多い.普段私の考えが,というか言い方が,錯綜していることが多く,話を聞く方から分かりにくいといわれるし,もっと分かりやすく明快に話せる人は,別に修士を持っていなくたって,いる.しかし,明快に捉えるには物事の本質をきちんと理解している必要がある.理解しているから明快になれる.
明快になるためには理解するのが一番.理解していないものはあやふやにとどまり迷惑を掛けるしかない.でも理解って,本当に理解するって大変なことなのだろうか.ある人は,理解なんて簡単です,と言い切る.物事を咀嚼し玩味し消化することが理解だという.これは難しいようで簡単なことだという.そしてそれは,先端技術であろうと軽作業であろうと,どんな事柄においても同じだという.
私の職業であるウェブプログラマの世界は,どうやら単純に理解すれば,同じ仕組みの上を走るいくつかの言語を操るに過ぎない仕事だ.同じ仕組み,つまりハードウェアやネットワークの仕組みはウェブが普及してからほとんど変わっていないし,これからもほとんど変わらない.そして,ウェブを書く言語は,至極簡単なHTML,種類だけ多いCSS,何でもできるJavaScriptである.単純に考えればたったそれだけの範囲である.
そこで私はこう思うことにした.私が無理に複雑にものを見ようとしているのは,多くを知ろうとしているからで,理解するために必要な「無駄」を多く仕入れる癖があるからだと.単純化するには無駄の混沌が要る.そして,単純に捉えた物事を,また別の単純化した物事と結びつけて,新たな知見を得る.その王道的なエコロジーを持っていたいのだと.そして,いつでも取り出せるよう整頓しておくことも,重要だなと.

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