話にならない.さしずめそういうところだろうと思う.私は会議で発言してはいけないこととなった.空気が読めない発言をこれ以上続けては耐えきれない.そういうわけか,きょう限界が来たようで,解任.書記という役割をあてがわれ,メンバーからは外されなかったものの,以降の会議で一切の発言を禁じられるに至った.
私は,このように外されることに慣れている.新卒で入った会社でも半年で窓際だった.大学時代のサークルは,いくつも掛け持ちしたが,みな解散した.高校の部活でもクラスからも弾かれ,高校まで飛び出した.除け者,斜陽,日陰者.そういった自己像をずっと抱いて生きているし,発達障がい者と社会から烙印を押されたときは,自分の半生の立場を正当化できたようで救われた気持ちにさえなった.
昨日は幸い友人と相談できた.とても明るい意見を呉れた友人と,信頼を回復すべしと諭す友人がいた.その直後,20年間の付き合いがある自死欲が出てしまい,夜は眠れず,翌日の正午までベッドから起き上がることはなかった.会社も有休.うつはつらい.何度か経験したが,うつを経験した人とそうでない人,その理解は違う.明るい意見を呉れた友人はうつの経験があり,うつの知人を親友としているのだ.
この記事を書いている今も,死の欲動から解放されてはいない.もし単身なら,すぐに首を括っている.そのくらい私はこの社会に絶望している.信仰があるから長らえているもので,もしそれがなくなるとすればすぐに絶望してしまう.神さまはいつも共にいてくださる.信仰を持つ前から今に続く思考の整理が必要で,一貫したストーリーを持たないと,根無し草のままであり,真に幸福になれない.そう思った.

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