最近インプットができなくて困っている.アウトプットならばほぼ自由にできる.考えたことを文字列に翻訳し,SNSやウェブで公開する.この手順にすっかり慣れたのか,アウトプットの悦楽を楽しむほうが,インプットのストイックな辛さより優るので,アウトプットばかりしている.アウトプットが評価される時代でもあることから,誰からも咎めは受けない.むしろ好ましいことと捉えられる.
インプットしたい本は10冊以上ある.インプットの仕方についても,効率よく行える方法を知っている.頭にすこんと入ると,しばらくそのまま熟成し,いつしかアウトプットに変わる.このような過程を踏む学びが視点を変えたり増やしたりすることもある.本の力は偉大で,本によって思考を自力で行うよりも良い答えに接せられる.思考を省略できるうえ,先人の知恵の先に進むことができる.
驚く勿れ,今週は2万円分,本を買った.技術書5冊にビジネス書が2冊.来る明日が待ち遠しい.書斎にある技術書はすっかり100冊を超えた.それだけ勉強してきたのだが,勉強は限がないので,大人になっても勉強ばかりしているとの言葉は半ば揶揄も孕んでいる.しかし,この情報通信社会である.学びがなければ成長は止まることが発見された.生涯勉強していたって,好ましいのだ.
アウトプットが全くない若者にインプットの続行を勧めない理由は分かる.でも,アウトプットが柔軟にできる人物に更なるインプットを勧めるのは有意義だ.アウトプットとインプットの比率が7:3であるほどよいと読んだことがある.読んだ量の倍返すわけだ.少しのことから多くを知る.「これだけで,こんなに学べる.」この読み書きを死ぬまで行い続けることに苦痛はない.希望があるのみ.

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