ヒルティ,ジッド,パスカル.教会に通って7年半が経つ.毎週聖書のお話を聞ける有難み.お蔭で欧米の古典を立体的に理解でき,合唱の譜面の見方にも影響してきた.マーラーの復活,バッハの主よ人の望みの喜びよ,ベートーヴェンの歓喜の歌.教会に長く通っていなければあまりわからないだろう知識が,さすがに身についた.冒頭に挙げた3名の作家は,最近読み始めた文庫の著者で,各々がキリスト教圏に生きた人物である.
教会から借りている本が何冊か借りたままになっていて,一読もできていない本もあり,申し訳なく思う.なにしろ世には面白い本が沢山あり,好奇心で買い進めてきたものだから,読み切れないほどの面白い本に囲まれた空間で生きている.いつも参照できるほどには整理してある.本の中の内容然り,本棚の中の場所然り.だから生活に困ることがない.いつでも参照すれば問題は氷解する.どうにかなる.別案をいくつも閃ける.
本を読むには動機が大事だという考えについて.題名から面白そうな内容が連想できる本や,装丁やDTPを見ているだけで陶酔できる本,どこから読んでもいい構成の本,重厚な理論書や軽薄な小説体.その本を選ぶ動機は様々だ.私の認識が追い付いていない本は読むには早いかもしれないが予め読んでおくことも意味がある行為だろう.本当に読めるようになるまで経験時間が必要な本である.面白いと思えばいつ何を手にとっても良いということだろう.
問題はその面白い本が何百冊も書斎に並んでいることだ.そろそろ手当たり次第ぱらぱらと繰る習慣を止めて,本文と格闘する姿勢を確立せねばと思う.腰を据えて取り組むのである.全部読んで売るか捨てる.今の動機はこんな感じであまりまともなものではない.もっと本と大切に向き合って励む人たちが同世代にも沢山いることを思う.私は書斎を恥じることになりかねない.本が沢山あるのだから,それに相応しい習慣を身につけたい.

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