35歳の中年にもなれば,人生も大分見通しがついて,生きるのが楽になれる.考えようによっては,まだ現実を厳しく認識し,世を憂える人もいるのかもしれない.経済的情緒的に独立できずに,人生を呪う人もいるだろう.けれども,やろうと思っていたことをやり,できるようになりたいことを持ち,願っていたことを叶えてきた私には,どんな人も人生のいつかの時点で,生きやすくなる状況がやってくるとそう信じている.達成であり成功である.どんな人にも,いつからでも達成できる,そんな準備は誰にも与えられているだろうと思う.
私の人生はもうすっかり先が明るくなり,計画も立っている.50代の中ごろには,配当で生活できるくらいの資産ができている.60歳で会社勤めをやめるにしても,その後の30年余りを,創作活動で満たす市民団体を作り,科学や産業の見聞を広く持つ.恐らく,部録と読書と投資は生涯にわたって続け,科学と数学と声楽は人生のアクセント,生涯の愛する趣味になる.30年後のことだから,世界は益々情報通信技術で様変わりし,ある程度の経済力があれば,その恩恵に与ることも難しくなく,有効にお金を使う機会が多く現れるだろう.
今考えるべきは,資産を形成することと仕事に向き合い深めること,それができたうえで余裕があれば積み上がる,そういう構図である.資産は正直40歳時点で1,200万円は堅く,53歳で2,500万円に達し,配当で暮らせるようになる.60歳で3,000万円以上の資産を作れる.この目標は今の収入が続けばの話であり,年収は今後少しは増えるだろうから,達成はもう少し早くなる.50歳3,000万円,60歳4,000万円も難しくない.退職後を配当で暮らすという目標を達成すれば,私の人生は成功裏に終わる.これは私の最後の目標になる.安定した人生.
神さまによって安定したのだから,私が天に戻ったら,資産は教会に戻す.妻が存命なら妻に託す.だから今資産を形成することは,神さまの教えに反することはなく,生涯を平安のうちに暮らすための基礎を作っていることになる.そう,資産は神さまのもの.世の垢に塗れない資産から生み出される不労所得の中で暮らす,そうした約ましい暮らしを続けていくことに変わりなく,天に召されたなら資産は託す.誰が見ても正当な生き方をしたい.神さまに祈り求めつつ,生き方が定まってきた.善い人生が,今の私の暮らしの連続のうちに待っている.

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