労働と休暇の関係について.休暇を有意義に使うには,やりたいことがある必要がある.それも,まとまった時間がなければできないこと,あるいは,やって意味を見出せることを,自分で作り出す必要がある.何をすれば有意義で,そのためにどのように行動すれば実現できるか.そんな基本的なことが,労働と余暇のバランスを実現するための重要な方法であるわけだ.義務教育で習った生活態度が,人生を充実させる方法であることを今更乍ら知るのだった.
私は昨日YouTubeで紹介されたラーメンを食べに,往復2時間半を散歩した.初めて歩く道路を開拓し,帰りには方向を見誤ったり,歩き慣れた街への接続だったり,公園で親子が20組ほど遊んでいる夕方の光景は特に焼き付いている.肝心のラーメンは,出汁水に浸かったつけ麺に初めて対面し,感動を覚えたうえ,チョコレート風の味のする叉焼に,甘口のスープで,好奇心が満たされた.川沿いの小径には以前この街に引越してきたときに迷った思い出が蘇り,住宅の並ぶ路地を歩くと珍しい苗字の表札に目を奪われた.
この単純な時間が,すごく楽しかった.成年して多様な教育を受け,多様な人物と議論し,経験を消化してきたように考えていたが,実は単純なことができていれば,人生は単純に楽しくなる.小学生のときにうっすらわかっていた通りに生きても,大きく間違うことがないと私は深く確認した.成長しても子どものこころを忘れないことが大切にされているのは,そういう意味でだろう.小学生のときの私の関心や好奇心や創造性を,再確認することにつながった.
私は子どものときの延長を生きている.いろいろな忘却や歪曲や汚染が起きても,私の育ちは変わらない.好ましい幸福な少年時代を,もう一度思い返し,育ちを確認することで,私のこころは軽く朗らかになっていく.私のすることがやはり私らしいのは,私が私であってきたからで,私以外の影響も私の一部として消化しているから.そして重要なことは,私だけでなく,生きている全員が,各人らしくあるのも,各々の育ちから来ることなので,様々な影響を取り入れたとしても,各々は各々であり続けるということだ.

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