きょうは5連休の4日目.暖かく風の強い日.教会の会報が刷新されるに合わせ,新企画を提案し,その見出しバナーを作ったりして過ごした.そんな中,仕事と休暇の関係を考え直していて,あるエンジニアを思い出した.彼は少し働いたら数か月の間ずっと休む,つまりバカンスを取っていると言っていた.私はその「バカンス」の響きが印象に残っていて,将来そんな働き方をしたいと希望さえした.そして今,働く目的を改めて調べて考えている中で,仕事と休暇の意味が少し深まってきている.
欧米で株式や起業などで資産を作り,早期に退職し好きなことをしている人たちがいる.彼らは,暇を持て余しているのか.どうやらそうではないらしい.早期退職後ずっと暇なのではなくて,次第にまた仕事をしたくなり,好きな仕事に取り組むという.つまり早期退職してもいずれまた働き,恐らく仕事は身体が衰えるまで続くだろうということ.まとまった資産を作るまで耐え抜き,自由を手にしても,仕事もなく退屈に過ごすわけではないらしいのだ.
これを聞いて考えた.仕事に対する観念を固定しなければ,自由に仕事に向き合えるのではないか.わざわざ早期退職しなくても,まとまった資産がある想定で働くことに向き合うようにすれば,働く価値や意味が変えられるかもしれない.私は障害年金が下りて数百万円を手にした時から,株式投資を始め,給与の増産も含め当時の倍以上の資産を持っている.7年くらいなら働かなくても過ごせるくらいの資産.すると,7年も働かないことができるだろうか.できるわけない.何かしたくなるはずだ.
そのしたいことを想像してみる.やはりウェブを開発したりウェブコンテンツを制作したり,差し当たっては本を書いたり,私が仕事にしたいことはそのあたりである.しかし,実力がまだ足りない.経験値が足りない.広さや深さが足りない.だから,私は今の職場で鍛えられることを喜んで受け入れる.自分のために働くことが推奨されるこの時代,好きなことやってみたいことをやる.それだけで人生は充分充実するし,教会報の新企画もやりたかったことをやる一環,早期退職を考えなくても私は充分豊かに働ける.

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