夜が寒い季節が,もうすぐ明ける.日常を生きていて怖いと思うことはそう頻繁にある感情ではないかもしれない.いや,仮に身体が辛いときや障がいで不自由に暮らす人は,街を歩くだけで車や踏切や歩行者との行き交いが怖いと思うこともあろう.怖い人とすれ違ったときや,救急車が後ろから迫ってきたとき,地震や火災や事故現場に遭遇したとき.怖いと思うことは少なくない.
しかし,怖い出来事は特別なものになっていないか.時々あるイベントのようなものになってはいないか.怖さを感じることが珍しくなったから,人はすぐに狼狽えたり傷ついたりするようになったのではないか.古代の暮らしは怖さと隣り合わせだったから,現代がいかに安全で安心な社会を提供しているか,少し考えればすぐ分かる.怖くないことがデフォルトになっている.
しかし,この社会で生きていても毎日のように怖さを感じる人もある.私である.私は機械と夜の暗闇が怖い.機械の機械的な様子が自分の機械性と重なり,自分がますます機械的になっていくのではないかという怖さ.自分の人間性が次々に機械性に侵食されていく怖さである.夜の暗闇を歩くとき,この永遠の暗さが宇宙の端と呼応している気がして,その真空の広大さに怖れを抱く.
何が云いたいかといえば,怖さを感じるようにしようという話である.神への畏怖である.神がもたらしたものをまともに受ける恵みとして怖さを位置づけ,怖いものはいつも身近にあると分かっていたほうが,人生の構えが確りする気がするのだ.怖さに砕かれる小さな私を神が包むとき,私は少し下に上げられたように感じる.安全安心のほうが本当は虚構で,世は暗く恐怖に満ちている.

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