人生の楽しみは人に拠るからそう多くあるものではないと考える向きもあるけど,楽しみに多く出会う生き方も確かに存する.それは自分と同じ方向のまさに自分がこう考えてこれこそを述べたかったのだという深い重複を探し当てたときの満足に似ている.自分と似通った考えをする人物に出会い,潜在的思想を強くして自分を解放するとき,これこそ人生の楽しみの定義に近づいている.
20世紀スイスのヒルティという著者の文庫が余りに面白い.面白いので文庫を4冊注文.彼はクリスチャンで,私の普段考え浮かばせておく思想を100年前にすでに体系化し,日々の聖句のように毎日1句数行から数頁でまとめる形式や,短い論説で読み切る形の文章で,読者を魅了する.決して衒学的でないし,偉ぶってもいないし,諄々としているが退屈しない文体は奇跡的なものを感じる.
ヒルティは働くことは喜びだと述べる.どんな仕事でも働く中で自然と興味がわき,仕事は人生で最上の時間の使い方であり,ゆえに仕事を失っている人は財産の多寡を問わず不幸であるという.仕事に導くのが最も親切な教育であると述べ,実にシンプル.この社会秩序を透徹している.ヒルティの述べる幸福論は現代でも充分通用するように読める.ラッセルとは異なった見方だが.
神さまから与えられた地上での生き方は,結局仕事で誰かの何かを実現したり支援することに参加することだ.キリストを広めることだってそうだし,社会問題の一翼に深く入っていけば何かの活動に行き当たる.今読みたい本をこうして記録したりで,自分の小さな居城を構築し他に目も呉れない生き方もヒルティは幸福であるという.私は幸福な人間に分類されるし,自分でもそう思うし,これからもずっとそうだろう.

コメントを残す