本を読む目的とは何だろう.著者の書いた内容を覚えたり丸ごと呑んでみたり,書いてあるとおりに実行しようとしたり,そういう強迫観念は読者を自由にしない.反対に,丁寧に読むけど内容を一字一句覚えることはしないで,後で自分で書いて考えてみて,著者と少し異なる点を見つけてみて,自分の見識を広げてみる.そういう発展的な営みが読む目的なのかもしれない.しかしそれは目的の一つに過ぎない.
本には,紙に触れて最後まで繰る快楽がある.活字を読んでいくこと自体の快楽や,理解して体験を整理できていく快感も伴う.さらに,読んだ本を書棚に並べて背表紙を見とめ,これだけの知識を経験した実感を味わうとともに,まだ目次さえ読んでもいない本を渉猟する期待も得られる.本と私との関係は単なる理解に済まないから,知的活動の幅が広がる道具として見ていては本の価値が損われる.
本を沢山読むにつれ,思考が深まることもある一方で,物を知らなくなっていく面も否めない.若い頃は直観的にも分かるセンスがあったものだが,年を取ると直感から構成した文章をより膨らませることに心を砕くようになる.誰かに伝わるように書かねばならなくなるから.自分を主張するだけでなく,いろいろに意見を聴いてセンシブルな判断へもっていく必要に迫られるから.話がそう単純ではなくなる.
勿論若かりし日の主張と直感の蓄積は,今でも私が知的活動を執る原動機になっている.若い時分の私は主張ばかりの困った青二才だった.でもその蓄積がなければ今こうして部録で考える習慣を保ってはいない.皆同じではないし,そうであるべきだし,もし皆同じであっても,そう捉えない方が自分の領域を保持できるので,幸せに暮らせる.私はある程度私である,この程よさが,大事だ.この辺りに,本の目的はあるのだろう.

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