断片化した読書.集中が続くにしても,本をまともに読めることが少なくなった.文章を目でなぞって理解しているとき,その文章や段落を最後まで追うことが珍しくなった.斜め読みである.理解したいはずの物事なのに,著者が籠めた本文を丁寧に読めなくなったのである.理解しやすい読み方があるとして,覚えておくことが重要だとして,思い出すことがもっとも読書の効果が顕れた功績だとすれば,正しい読み方ってそもそもあるのだろうか.
読み方は1つではないので,いつも同じ読み方で本に対さなくてよいことになる.同じ本をある時はぱらぱらと繰り,別の時には見出しを把握し構成を掴み,空いた時に本文を楽しむ.これで良いのかもしれない.TwitterなどSNSコンテンツの読み方に影響され本の読み方が変わってきたけど,影響されたということであって必ずしも悪いと捉えなくて良いかもしれない.つまり読み方に多様性が増したのである.
しかしこの見方を通しても看過できないのがYouTubeである.本を読む時間が減ったのである.YouTubeで本を紹介したり学問のコンテンツを視聴するたび,本を読んだ気になってしまう.私が本を読むより本を読める人の書評動画を見た方が理解できるし内容を覚えていることだって多い.生活を改善するための実践が最近になって急速に進んだのだが,それは本を読んだからではなくYouTubeをみたからである.
Twitterの短文に慣れて思考が短絡化してしまう.そしてコンテンツの発信をする一方でインプットが減ってしまう.新しい知識を自分で生み出す習慣はついたが,本から知識を学ぶ習慣がなくなりかけている.面白い本が書斎にたくさんあるのに,満足に開いて読めて覚えていられなくなっている.情報に洪れ知識に乏しい現代の弊害が私を占拠し始めた.一体知的活動のエコロジーをどうやって保つかでさえ困難な課題に思える.
