日頃触れるメディアによって知的活動は影響を受ける.活版印刷によって会話が減ったように,ラジオによってテレビによって,新聞によって雑誌によって,Google検索やTwitterやFacebookやYouTubeによって,思考の方法や姿は変わってしまった.良いことではあるのかもしれない.メディアが多様になったから知性も多様性が増したと解すべきなのかもしれない.新たな表現とメディアを見出す上で振り返る価値はある.
例えば,長く分厚い本は時代遅れになってしまっている.本といえば総覧性に優れているため,最近は事典や大全といった本が非常に増えている.逆に他の本は悉く消えている.学生も社会人も長い文章を読む能力が下がり,即興で発想し作り上げる能力が伸びている.でもこれでいいのだろうか.もっと基本に立ち返って線条的に丁寧に考えていく方向を模索する時間もあっていいのではないかと思う.
私たちは情報をメディアと交換している.お金を払って情報を買い,得た情報をもとに行動に移す.情報への投資である.情報が載るメディアは選ぶことができる.この時,欲する情報があるかどうかで選びがちである.しかし本当は,どのようなメディアの影響を受けるか事前に確認了承した上で買うものである.情報で選ぶより前に媒体で選ぶのである.なぜなら脳が簡単に影響を受けてしまうから.
新しいメディアに触れないと時代から置き去りにされるとよく言われる.情報技術を受け入れにくい人は実社会からも孤立する時代.スマホは必需品となったし通信環境も必須になった.しかしそれでいいのだろうか.メディアによって失った習慣と中毒に近いメディア接触とを天秤に掛けて,果たしてどちらが好ましいかと問い続けたい.時代遅れになった本を読もうとしても読めなくなってしまった.個人的習慣の喪失である.
