昨夜,あるアイデアを手放した.海外の大学教授にメールを送り,このアイデアを推進してくれる人が見つかればそれで私はうれしいと付け加え,あるアイデアを渡した.「牽引説」である.牽引説の生みの親は私であるが,それを論文にし観測データと合致させ検証する役割をその教授のチームが担うようになれば良いが,彼はアイデアを知的に利用するかもしれない.そうなれば私は満足していると言わねばならない.
私は博士課程に進めなかった.社会人になっても進むことができない.金銭的には余裕があるが,仕事と家族を持っているので両立が難しいと考えてきた.宇宙論を専攻できる大学院を探したが,私は行かないことになるだろうと思うしかなく,数学や物理学で博士を取るのを諦めた.生前に有名になりたくないし,研究員を生業としたくもない.やはり数理は趣味であり,それを超えては不幸になる.そう思うばかりだった.
物事には手順がある.もし私が宇宙の真理を捉える数理モデルを言い当てたり,素数の規則性を複素関数を使って表せたとして,それが世の中にどれだけの影響を与えるか考えてみたらいい.タイムマシンは製造され,暗号システムは打ち破られ,社会も人類史も混乱するだけである.その源となる発見を発表した張本人となれば,人類史最大の汚名を着せられる.短期的な名誉と賞金は,永続的で犯罪的な評価を受ける.
研究テーマがそういう性質を持つ難題だからこそ,私は研究をある程度の進捗で停止し,クラウドにデータを残すことさえ慎重になる.私は信じている.タイムマシンは作れるし,素数の規則は存在する.だから私は研究を止めている.そして別の職業で生計を立てている.それでいいのだ.倫理的にそうするしかない.国力や英雄伝をちらつかせるメディアは断っている.事はそう簡単ではない.だから私は牽引説を寄付したのだ.
