小さな変化ではある.牽引説のアイデアを手放したことで,解放され自由になった気分である.ひとりで研究する限界まで付き合ってきたアイデアだから,多少の思い入れはある.本心では手放したというより提供したという感覚で,生みの親から孵った雛の飛び立ちを思う感じだ.多元宇宙の全体を扱う研究だったため,名誉や賞金という形の見返りがなくても,最初に懐胎したという個人的事実だけで充分満足できる.
手放したことで,手元の仕事を丁寧に追求したいと思う.ウェブ制作やグラフィクスやバーチャルゲーム開発である.これらはより細部にわたって注意が必要で,継続的な改善も要求される,軽くない仕事領域である.複数の草鞋を履いてできるようなものでない.だから,いくつかの取り組みを手放さねば真剣に集中できないと考えてきて,今回ようやくその捨てるアイデアを牽引説にする決めたのである.
捨てるきっかけは2012年2月発行の日経サイエンス誌の背番をたまたま開いたことである.宇宙膨張に向きがあるという観測結果を伝える記事だった.このデータは牽引説を正当化するに足る結果で,この研究者ないし観測チームならすぐに牽引説の重要性をわかってくれるに違いないと思った.それで私の数あるアイデアの中でも最も苦労して練り上げたという努力を度外視して,科学の早期発展のために献上しようと考えた.
これで真に重荷が下りた.名誉を受けなくて良いし,世間の有名人にならずに済む.賞金や取材での儲けでお金持ちにならなくて良くなった.天に召されたあと伝説が作られるかもしれないが,それは自由にやって貰えば良い.この世で生きる目的は名誉や受賞ではない.研究する目的も同様である.今回の判断は私の価値観に照らして正しかった.私は信仰の道を突き進むことが何より幸福だという確信があり,それに従った.
