生きていると認識は変わるもので.感染様症状で仕事を3週間近く休むこととなり,書斎に身を隔離して過ごしている.きょうで6日目.微熱こそ下がらないがほかの症状は大概消えた.アプリや動画で退屈せず,行動範囲がほぼ半径1mであっても不自由なく過ごせることを発見できた.1世紀前どころか10年前の哲学書とは状況が違うのだなと思った.しかし.この過ごし方は老後の生活をシミュレートしているのではないかと.
老後は30年先の話.今よりテクノロジは進んでいる.資産も今の2〜3倍程持っていると思う.暮らす家は今の家だし,過ごす書斎もこの書斎だ.座る座椅子もこのポエングかもしれない.この半径1m生活は,定年退職後の日常とそう変わらないと思う.定年後やりたいと考えていることを今行うべきな理由がここにある.すなわち定年しても環境はあまり変わらないということだ.やりたければ今から始めたほうが上達するから.
人や自分の役に立ったり,それを楽しいと思うには,それなりの上達が求められる.また,資産をいくら多く持っても老後の生活で使い切れないと思う.今とそう変わらない暮らしで満足を得られるなら,毎日贅沢しても満足しない.胃の容積には八分目の制限がある.服も靴も鞄も今や多く持てない.仕事は退屈を感じないためにやる.65歳の自分は35歳の今の自分とそう変わらない気がしてくる.生活面だけでなく人間的にも.
結局,幸福に生きるための策が未来を見通すことだとしたら,今の自分が老後の自分であると捉えることから始まる.今は未来である.遠くも近くもない未来.この書斎にはいくつかのICTデバイスが増えているし,視聴するメディアや端末にも変化は訪れる.けれども,今この記事をこのポエングに座って書いている風景は30年後も変わっていないと,そう未来は判断してくれる.今は満足している.未来も満足しているだろう.
