人生で後悔することがあるかどうか考えてみた.唯一あるとすれば実家の文化を脱ぎ捨てたことだ.教師と看護師の家に育ち,公務員の多い家系である.今私は半ば公務員の立場で,幼稚園生からの夢であるグラフィックデザイナーないしウェブプログラマの職を得ている.初恋の人に似た女性と結婚でき,住んでみたかった地区に居を構え,子供も車も酒もタバコもテレビも新聞もない暮らしを営んでいる.夢は叶ったのだ.悉く.
だから後悔など微塵もなく,今まで後悔しないように選択し実行してきた結果だと考える節もある.でも,何かを考えないことにしているから後悔を覚えないのではという問いも立つ.別の可能性に出合ったり他の選択肢を考えることにすれば,もっといい人生があったのではないかということである.私はこの問いは悪魔的な傲慢さを呼び起こすだけで愚問に付したいと思う.別の可能性などいくらでもありうるからだ.
なぜこんなことを考えたかと言えば,浅薄な動機である.今の自分の暮らしに対し,もっと稼げる仕事に就いてもっと働ければ,もっと家族を養えたのではないかと思ったからだ.今の仕事が楽なのは,専門性を研鑽した結果でもあろうが,もっと稼げる仕事を得られなかったからだとも読める.正直,私は体力的にも精神的にもそしておそらく能力的にも,もっと稼げる仕事に就ける余裕がある.私なら,もっと稼げる.
人生の機会を悉く受け,よりカッコいい職を得て働くことが,30代の私の人生だったのではないか.そう思う折がある.アメトラのスーツを仕立て,それに似合う人物になる.そんな目標だってよかったのだ.人生まさか正統ルートがあって,その道はまさかそんな風景で,私は充分そのレールに乗っかれた.でもそれを知らずに捨てた.知らずに,だ.少しでも知っていればまた変わってきたはず.早すぎた判断で失った機会である.
