20代の時,特に結婚する周辺の時期に,人生の幅が大きく感じられたことがあった.一流企業に勤める人と初めて出会ったのである.妻のお父様である.それ以来,教会の伝で社会の高い地位を経験した方と交流を持てた.欧米の大学出身者,都内の有名イベントの関係者,一流企業の関連会社社長.彼らの話を聞くと,私がレールを降りたことは,16歳にしては早すぎる決断だったと思うことがある.高校転学である.
転学する際には,級友や両親から,勿体無い,馬鹿か,と罵られることもあった.なるほど好機会を受ける前に自ら断ったのだから,それ相応の理由で辞退するのだろうとふつうなら考える.高校受験の努力を自ら無にすることが癖や習慣になり,その後10年くらい苦労するのだが,無駄な苦労だと一喝する賢明な人やサボっていただけだと忠告する方もいて,なるほどそうだったのかも知れないと思うことも度々ある.
一流企業や有名企業に就職するなんてことはできるだけ避けたい,できるだけ社会から離れて,社会で有名にならずに,収入も多くなくて良いから,ただ静かな環境で落ち着いて暮らしたい.そんな将来像を高校生の私はしばしば考えていて,本気でそれを実行しようとした.社会に出ることを考えられなかったので,大学生としての就活は全く行わなかった.業界研究も一切行わなかった.そんなことをする理由も分からなかったから.
私は今能力を買われて働いているが,正直自分の能力の2割も使っていない実感がある.余裕がありすぎる.今の職場は緊いことはなく,仕事の量も余裕である.それなのに収入は平均的な高さであり,余裕のある生活が保証されている.この余裕が自分に許せないとの思いがある.もっと社会の人のためになるような職業を目指さなかったのだろうかと.17歳から27歳までの空白の10年間.造形感覚と数学研究に費った10年間.
