今でこそサブカルチャーに疎い私でも,子どもの頃は任天堂にはお世話になった.毎日のように遊びに来る級友たち.目的は私でなく任天堂のゲーム機だったろうと思う.私は小学5年生の秋ですでに飽きてしまっていて,別のことすなわち漢字の勉強,Excelの習熟,インターネットとコンピュータ言語に関心があったので,できるだけ任天堂で時間を潰されたくないと思うようになっていた.
学校の成績は良く,普段から関心を持って研究していることで大体カバーできていた.中学に入ってポケモンは良く遊んだが,テレビを嫌うようになったし,漫画に至っては憎むほどになっていた.写実的な絵を好み自分でも描きたいと考えるようになり,大学受験前に美術学校でデッサンを習った.アニメや漫画やゲームからは完全に卒業し離れていた.自分の関心を広げることに心血を注いだ.
その中ではっきりしたことは,音楽である.自分の意識が空間的にも時間的にも広がるのは,音楽があるからだと思い至った.印象派やバロックが好きで,好んでCDを買ってもいた.ポップスは苦手でカラオケも入れなかった.他の級友と趣味が完全に合わず,高校に入って孤独を深めたものだ.趣味の合う友人より自分の関心を広げることに時間を使おうと固く決心して過ごしていた.
音楽を今再び声楽という形で触れることで,私の人生は一本につながった.それも高度な思想のレベルで.自分が鑑賞に留まらずまさか歌ったり作ったり訳したりする人間になるとは私も思わなかった.しかし,信仰を持ち礼拝で讃美するにつれ,音楽を生み出す側の関心が否でも応でも高まった.若い時代と記憶が音楽を通してつながった.時代と場所を超える音楽の効果である.サブカルチャーには疎いままだが.
