手軽さと真剣について.合唱団の音楽監督が,物事は真剣にやったほうが楽しめる,と指導していた.それで私はその日の夜に己の練習不足を恥じたのだが,翌朝になってみると練習が億劫なものに感じられていた.それどころか,自分が属していると思っていた文化や,持っている文庫,学問,楽譜が負債のように思えてきた.肩に重荷が乗ったように重苦しい時間が過ぎた.決して在宅仕事が大変なのではない.
確かに正直に振り返っても,先週は大して練習しなかった.礼拝で賛美するほかYouTubeでの視聴と風呂での鼻歌程度しか歌には接しなかった.なぜなら,諸事で時間を忙殺され,仕事の後に家事や体調管理やボランティア関係や買い出しで,練習する時間を持つことが実に難しい.それでは学んだことを身に付けるには不十分すぎるので,どうにかして指導を体得する術を捻出しなければならない.
これをある人物に相談すると,声出しと音取りを行うだけで違うのではないかとの助言をいただいた.ハーモニカと鍵盤があるのだから,1時間もかからずメンテナンスできるのではと.なるほどこれならできるかもしれない.課題曲をYouTubeで繰り返し聴くことも有効で,曲の印象を詳細にすることで楽譜を詳しく認識できるようになるだろう.工夫次第で訓練内容は豊かになる.練習とは実は豊饒な世界なのだ.
簡単に反省すると,自分は何も持っていないように思われる.自分は何も身につけていない,ひどく醜く低劣な芸術性しか持ち得ていない.そう思う.しかし,おそらく合唱は訓練である.今は低劣でも,訓練を続ければ向上する.何らかの技術を持ち得る.そうして徐々に芸術性のある表現や音楽性に対する認識を深められる,そう信じる.真剣に行う習慣は,身近で手軽な物事から私を離し,それらを無害にするだろう.
