年末に礒山雅著「マタイ受難曲」を読破した.YouTubeの演奏とベーレンライターの楽譜を照らして読み進めた.音型を確認できなかったり,音楽用語で解説されている箇所を理解できなかったりと,諦めつつ進めた部分もあるが,最後の頁を繰ることができた.単行本サイズで500頁近い本である.この分厚い本を最後まで読み通すという経験は,幾度となく私の精神を鍛えてくれた.粘り強さ,有言実行性,そして執念.
昨夏にダンテの「神曲」を平川祐弘訳で最後まで読み通した.クリスチャンとしての知識があったおかげか最後まで面白く読んだ.強烈な印象を与える挿絵の版画のいくつかは今でもすぐに思い出せる.この本も600頁を超える大著であったと記憶している.私はなんだかんだで分厚い本に挑戦し完読してきた.生化学や分子細胞生物学や有機化学や神経心理学の教科書もそう.学生時代に関心を持った本は通読している.
書斎には何冊か通読したい本がある.分厚い本である.ポール・ヴァレリーの伝記や英英辞書など,過去に通読したことのある本に並んで,「建築と言語」「標柱 音楽思考の道標」「パンセ」他,多くある.本当に読みたい本ばかりだ.読み切ることの難しさはある.でも,理解できない本などないという信念がある.読まずに並べておくより読み切るまで読むことに時間をかけたほうが有効だと知っているからだ.
読書は追加料金をかけずに,それでいて精神の栄養になり,仕事や趣味で活きる知識を得られる,一挙に両得以上を得られる行為である.ほとんどの賢者が時間を投資する行為である.なので,関心を持っているうちに分厚い本にどんどん挑戦したい.そういう時間を作りたい.将来に何かを発信するための種蒔きになる.明日の会話の種でもある.こうしている今も読書に勤しむ賢者が数多くいる.私もその一人になるのだ.
