名代富士そばが気になって仕方ない.あるYouTuberが名代富士そばはうまいとさらっと口にしているのを聞き,そういえばあの近所の駅前の蕎麦屋は名代富士そばだったよなと思い出し,名代富士そばをGoogleでもTwitterでも検索し,食べ応えを想像している.本場の蕎麦の産地に育った私にとって,多分それほど旨いわけではなさそう.でも,一度食べてみたい気になっている.24時間営業というので,明日午前に行ってみる.
こういう曖昧な気持ち,食べに行くまでに経験する対象と行動がまだ強烈に結びついていない状態が,心地よい人はあまりいないかも知れない.いや,ある種の人にとっては新しい経験に浮かれて期待値が上昇するのが快感だという堅実な人でも,待っている状態を我慢しなくてはならないのは辛いと思う.もちろん,世の中には我慢の練達を訓練したような人もいて,明日には忘れるくらいの出来事だと悟ってしまう賢者もいる.
でも未熟な私は明日午前に名代富士そばに食べに行くと決めたものだから,これを実行する.あまり旨いと思わなくてもそこそこ旨いのは確かなことであると思うし,低価格なので試すハードルは極めて低く,仮にそこそこ旨いと感じれば頻繁に食べに行く店になりうる.蕎麦といえば味奈登庵というお店に私の友人と数週間に1度食事会に行っているし,十割蕎麦はいつも台所下に確保してある.私は蕎麦が好物なのだ.
好きな食べ物に広い見識を持つことは確かに人生の喜びのひとつである.お金を払って時間を割いて経験を買う,その筋に沿って幸せを増やす行動である.だから私は明日午前に名代富士そばを食べに行く.重要なのは,明日この情熱が失われていても,食べに行くということ.そしてもうひとつは,歩いて行くということ.貴重な経験は歩いて稼ぐがモットー.名代富士そばを食べに行くだけでこれだけこだわるんだなという話し.
