この知識社会には,多くの知識が利用されずに集まっている.時間をかけて知ろうとする人がそもそも少ない.理解できる教育的基礎を持ち合わせている人も限られている.ある難しい定理があるとする.その定理の発見者は自分の証明で論証できたことに誇りを持っている.その周囲の人が論文や解説記事を書くことで知られるようになる.ただ限定的だ.教科書が書き換えられ全員に知られるには四半世紀はかかる.
知識の生産も一部の人にしかできない.1世紀の間に新しい知識を積み上げられる人は,世界人口が多いこの時代にあっても数万人いるかどうかの規模.多くの人は過去に生み出された知識を学んで産業応用するに過ぎない.特に私のような認識の浅い人間は,人生の問題に思い浮かべる論理をこじつけて解釈することで自分の好奇心を宥めるに過ぎず,なんら知的な成果を生み出しているのでもない.
本当に重要な知識を発見することは,今の時代に限らず重要とされている.今世紀で科学上の問題はほぼ解決できるとされる.私も科学誌を購読しているのでその事情には同意する.その解決後の社会は工学の時代になるか情報系の職業が重要になる.そのための基礎,その移行工事が今この時期である.私は数学の研究をしていて,思っていたことが不可能である場面に何度も遭遇してきた.不可能を可能にする方法を探っている.
不可能な問題は歴史上多くの数学者が取り組んできた問題でもあるから,そう簡単に可能にすることは難しい.万一可能になれば大きな業績である.この知識社会では知識や技術を生産できる人が珍しく待遇される社会である.私がこの社会で生きるには,公表できる業績を1つでも世に問うことが重要であると思う.最近そう思うようになった.真理に関わる問題解決は,真であるなら力を持つので,社会を改良できるかもしれない.
