毎週日曜に教会で礼拝していると,平日であっても神さまについて思う時が少なくない.いつもぼうっと意識に上る問題があるが,意識的に考えてはいない.考え進める価値を感じられなかったからだ.しかし,時を経るに従い,それらぼうっとした問題が大事な問題であるような気がしてきた.そこで,現代と信仰を結びつけるためにも考え進め,今後も考え進めていきたいと思う.結論を出すには相応の時間がかかるだろう.
1.論理は現実を捉える唯一の道具である
これは数理を修めた人には当然の感覚的確信である.物事を表せる記号体系で表記すると,大体の論点は表現できるし,その論理で大概の現実は操作できる.論理に従わない事物や事象はまだ見つかっていないと思う.もし論理的でない事象や事物があったら,そこには新たな論理が潜んでいるはずなので,論理的でない物事は一時的な状態に過ぎない.神は言葉で世界を作ったので,論理で世界を操作できるわけだ.
2.科学技術は神さまに喜ばれているのか
科学技術は人が発見し発明し発展している.生活が大幅に改善され,健康寿命を伸ばし続けている.しかし,世の中は悪に満ち,不公平や差別はなくならず,住みにくいと感じる人も多い.教育によって改善する方法もあるけど,収入に格差がある中で平等教育は事実上実現できていない.そんな社会にした原因は高度な技術社会にした有能な人たちで,神さまの設計ではない.神さまがどう見ているか考え続けねばならない.
3.人の生み出す技術は善でも悪でもある
技術によって可能になったことは多く,軍事,情報伝達,食品,家事解放など,多くの利点を享受している.この生活改善傾向は,悪い側面もあるけど,それが見えにくくなっている.高度な知見を踏まえて設計しているからだろう.電力不足,環境問題,生命倫理ほか,技術で可能になったからこそ生じている問題群に対し,神さまの望む国に近づいているか,常に検証を続けねばならない.不可能が可能になる時は特にそうだ.
4.信仰を妨げる学問は関わらなくてよい
哲学や文学で,信仰を持たない人が結論した知見に触れることがある.その時,その知見は聖書に書かれていることと反していれば偽であると判定して良いものか.私は良いと思っている.人間らしい過ちに過ぎないと思うからだ.神を理解し切ることは一生をかけても無理だとは思うが,神さまについて少しなら知ることは可能だ.哲学上の重要な学説を聖書に照らして検証することは,学問の害を避ける唯一の方法だと思う.
5.信仰を上回る重要な学問は存在しない
学問を第一に考えないということ.学問を余暇活動だと考えた方が,学問至上主義から距離を取れる.では人生で最も大切なことは,信仰と希望と愛である.これらは特別な錬磨を通して得るものではない.神さまが育ててくださる.信仰を迂回させるような学問は,余暇に楽しむ趣味に過ぎない,という立場は学問上の実りも増すのではと思う.特に信仰によって,学問の検証ができ,阿らずに済み,利益を引き出せる.
