父もよく言っていたことで,若いうちに苦労すると後に輝く思い出になる,という見識がある.これは真理だと思う.苦労するなら何歳でもいいが,若いうちなら取り返しがつくから,若いうちに窮乏や閉塞のどん底を経験せよ,そうすれば後に振り返ると人生のうちで最も印象的な思い出になる.若い時の苦労は買ってでもしろという言葉の本意は,思い出になるからということ,それも人生の最も良い思い出になることだ.
私はこの言葉を本当だと考え,苦労を自分から選び,重ねてきた.高校を通信制に転学し,美術学校に入った頃から,いくつもの修羅場を経験し,30代に入った頃まで試行錯誤の時期を送った.この十数年間があるから今の私は生活に余裕があるし,人生に多様性がありしっかり地に足がついた生活ができている.好きなこともいくつも見つかった.そのうちの一つは仕事になった.10代20代の研鑽が生んだ実である.
もちろん苦労していた当時は絶望もした.まさか後に極めて素晴らしい思い出になるなんて思いもしていなかった.でも,今や家族にも友人にもお金にも恵まれ,ほとんど何も困らない.今この暮らしは真に豊かだといえる.もし苦労が売っていれば私は買う.でも実際に買えた若者は少ないのではないか.順調にレールに沿って進む若いエリートの人生より,今のこの落ち着いた人生の方が,私は満足できる.
苦労を買うなんて古臭いと思うかもしれない.今の世に苦労なんてないに等しいという人もいる.でも,苦労する余地はどんな世でも存在する.むしろ,その余地を見出しにくくなっているこの世では,苦労は見つけるもの,発見するもの見出すものになっている.だから苦労を余計な時間や無駄な経験と捉える人は多くいる.でも,後年顧みる時,最良の思い出になると知れば,貴重な買い物の選択だったと後悔するだろう.
