思うようにならない,物事が思い通りに運ばない,と人は言う.でも私にはそんなことがあまりない.ほとんどない.なぜだろうか考えてみて,神さまに祈り求めているからだと思うけど,なぜ思いを超えてうまくいっているのか考察しておきたいと思うのである.思うように運ぶというとき,予想や計画が前提されていると考えると,私はあまり予想や計画を持つ人間ではないから,成り行きに任せる性質は確かにある.
思い通りに物事が運んで怖かった時期があった.高校生の時だ.欲しいものは獲得でき,自分の意見は通る一方で,成績も良かった.完璧な時間だった.でもそれが怖く感じたものだ.完璧な人生は嫌だから逃げようと思った.そうして青年期が始まったものだから,自分の中にうまくいってほしい欲が育たなかったとも言える.今でもうまく運んでほしいと思うことがなく,起きること起こったことを中立的に受け止めるよう努めている.
思うようにいかないのが人間関係である.機械関係は説明書をよく読めば思うように使える.壊れたり失くしてもまた買えば良い.でも,人間はそういかない.取り替えが利かない.それで人間関係でうまくいかないことがよくあるかといえば,これもそうでもない.なぜなら人間を自分の思うように動かそうなんて無理だと知っているからだ.支配や服従の関係をひどく嫌うからだ.多くの場合,自分が動けばそれで済む.
つまり思うようにならないと嘆く場合とは,自分で支配したり命令したりで物事が動かない状況を指すのであって,自分で動いて実現させれば思うようにいくのではないか.行動する前に神さまに実現を祈り求めれば金棒である.つまり,物事を思うように運ばせるのは自分の行動であり,動けるように支えてくださるのは神さまで,それに限る.こうして思うように進む人生が切り拓かれていく.簡単なことだと思う.
