神学の修士か博士を取ろうという考えが湧いている.何らかの博士号を取りたいというのは私の子供の頃からの目標である.動機は変化した.子供の頃は両親や級友の期待に応えたい一心だった.今は,自分の研究を後世に残したいと思うようになっている.博士号は後からついてくる.後世に残すに値する研究論文を書くことが軸である.博士号を取って転職や出世や収入に活かそうという考えはない.全くない.
理学や数学で博士を取ることも考えた.でも,私には修士号を持てるほどの数学力や物理知識がない.今から学部の知識を学ぶには時間がかかりすぎる.今研究している内容を論文に残すことを考えると,むしろ神学がぴったりな気がしてきたのだ.神学は関東に大学が珍しくなく,受入数も少なくない.神学博士号は,牧師になる道を開くが,牧師になるつもりはない.でも,教団内に知られれば立場は変わるだろう.
実はもう論文を書き始めている.「神の無偶然性証明と神学的展開」という題名だ.宇宙物理学や進化論や哲学を取り入れ,聖書における神の創造が偶然の産物ではなく,決定論的であらかじめ決められた計画に基づいているところから,なぜ今が今なのか,なぜあの時イエスキリストを地上に登場させたか,コヘレトの「時」論を展開する,という内容.人間は無から創造できない.無から創造できるのは神だけである.
千ページ以上の論文になると思っている.1日2ページくらい進めて2〜3年かけて執筆する.この3年という数字は博士課程の期間でもある.大学に所属せず研究活動する私のスタイルが貫かれた環境を整えた.論文を学術雑誌に応募し,掲載されたら研究者としての活動が増えるかもしれない.今後の人生において無駄に去る時間を,より文化的に使うきっかけになるといい.まず論文執筆を継続することが重要な時期だ.
