ある目上の人に,開放的な人だと評価された.それは意外で,単純に嬉しかった.「滑舌が悪いので」という言葉を滑舌悪く話した後,合唱団員であることを伝えたら,ちゃんと自分に向き合っている人だと思われたのだ.自分の弱みを相手に惜しまず出す,という姿勢が開放的な性格を感じさせたのだろう.私は基本,自分のことしか語らない.人がどうこうだと言うことはできるだけ避けている.それにはしっかり理由がある.
どんな人であっても,つまり両親や兄弟や友人であっても,他人を理解しきることは永劫出来ないと考えている.ある側面を感じたり,負の面を印象することはある.けれど,私はそれらを感じた自分を信用していない.今のその人からそう思っただけで,その人がそうだと考えるのは私の勘違いであるし,その人がそう見えたのは今だけで,人間はこれからも変わり続ける存在だから.だから私は印象論を操らない.
自分をよく見つめると,大きく変化していることがわかる.一年でだいぶ変わるし,日毎に変わることもある.自分を調べるだけで充分興味深いのだ.他人がどうこうって考える暇があったら,自分を変えることに使いたい.自分の変化に敏感になり,些細な変化に気づいて過ごすほうが圧倒的に楽しい.他人も変わるけど,私がその人を変えるには,私が変われば,いつか変わる.こう変わってほしいとの思いとは異なった形で.
この部録もほとんど自分とその周りのことに徹している.誰彼がどうこうってほとんど書いていない.無益だから.SNSで他人のことを書いている人は,それだけ時間を浪費している.本当は,自分を変えることに使うから,読書は投資たりうる.自己投資の目的は自分を変えること.自分が絶えず変化すれば,退屈も来ないし飽きない.この楽しみに皆が親しめば,この社会はもう少し良くなる気がするのだが.
