自分は今まで視野を狭く生きてきた.パラノイアであった.パラノイアでなければ真理を探し当てることはできない,とある本に書いてあったのだがその通りだと思う.自分で新しい証明や発明に到達できたのだから.でも,満足したためかその時期は過ぎ,これからは人生に相応しい思考環境を得たいと思った.パラノイアからの脱却,視野の拡充,極端な思想を回避するバランス感覚.頭の使い所がやってきた.
よく思うのは,本に書かれている学術的真理は,内容を絶対と思わず,参考程度に供する態度をとれば,それで充分その本を読んだことになる.絶対なのは聖書のみであり,原典として読み解いていけばよく,その他の汗牛充棟たる書籍は,聖書の解説だと考えて読めば良い.聖書に適った本は真理を鋭く解き明かしていると思えば良いし,無神論の立場で書かれた思想や文学はなんだか物足りないと感じれば良い.
本を読み終えると心が豊かになるというのは本当だ.それはどんな小説でも思想でも理論であってもそうなる.高校3年の時のあの耽美派の美術学生時代に感じた文学への憧れは,いまだに燻ることがあるけれど,当時とは比較にならないほど燻されており,どうやら真理を探り当てるパラノイアの時期に,実に多くの苦労を重ね,大きな果実を得た経験が,今の私の軸を作っていると思える.
自分の歴史が線条的に語れるかといえばまだそれはできない.思い出の断片,すなわち実家裏の枯野や港湾沿いの光景,足繁く通った美術館や講演会,検索したウェブサイトの印象.それらが一本につながるときはまだ来ないかもしれない.繋がったなら自分をもっとよく理解できるだろう.これから自分をより広く見渡すことで,人生や世界や信仰に関して落ち着き払った思考と姿勢がとれるようになりたい.
