なぜ自分が自明なのか.17歳のとき日記に書いた疑問である.女子高生が話しているのを見ていて,どうしてそんなことが言えるのかと思い,自分をどうしてそんなにしっかり感覚できているのか,という疑問を持った.結局この疑問は20代半ばを過ぎて信仰を持つまでほとんど全く分からなかった.私は自分が弱く幼い人間だと今は思っているけど,それは先天的なものらしい.自分の感覚は,成長する人は成長するようだ.
相手の立場を考えるというけど,私は悉く外れた.失敗した.むしろ自分の立場を考えるようにすることでなんとかやり過ごせるようになった.私は,自分とは小さく薄く霧消しやすい物だと今でも思うところがあり,疑っている自分だけが自分らしい感覚を得られる自分だという先哲の知見を本物だと思っている.私とは,確固としてある人もいるのかもしれないけど,そんなに形のはっきりある物ではないように思う.
私の職場はいくら頑張っても給与は上がらない.だから,少し頑張ると社内で表彰されることにもなりやすい.私は入社2年目で表彰された.これをまずいと考える人もいる.能力給ではなく年功序列を求めて入社した若い人だっている.人はさまざま.組織改革と聞こえの良い文句を打ち出すより,変化を柔軟に考える人の方が信頼できる.一部の人の意見を取り入れるより,さまざまな人の意見を取り入れる方がより良い.
私のように自分を弱くしか感じられない人もいれば,自分を全面に押し出して野心的に前に進み続けようとする人もいる.どちらかを重視すれば組織の均衡は崩れていく.しかし,自明であると信じている人も,それを疑い出せば疑い得るのではないか,という信念が私にはある.どちらかを聞き分けるときは,どちらが人間の本質に近づくものか,よく見極めることだ.進行方向を決める存在,それが本物である.
