仕事で疲労しないという状態は何か間違っている.疲弊するほど働くことも確かに間違いだ.今はそういう働き方は愚か者のものである.しかし,いくら糖質を制限しタンパク質中心の食事をしても,退勤後に軽い運動をしていても,家族と円満な癒しを得られているとしても,全く疲れない生き方は,どこか違うと思う.実際疲れを知らない数年間を生きてきた.その上での感想である.働いても甲斐がないのである.
疲れるから働きがいがあるという実感は,かなり若いうちに身につけてしまった弊習である.疲れを感じるから面白いのであって,毎日が戦いだと勇んで行けるので成果が出るのだと,勝手に思ってきた.最近はYouTubeで最新科学論文が教える「疲れない生き方」を実践しているせいで,全く疲れを感じない.その上蓄財もできており,順調に見える.ただひとつ欠けているもの,それは仕事に対する甲斐がないことだ.
何のために働いているか,確実な答えがなくても働けるので,答えを求めようとしても実質的意味はない.そうやって多くの大人たちが考えることを節約して楽しく生きてきたはずだ.しかし,給料にも雇用環境にも甲斐がない今,働きがいをどこに求めるかという問題は新しい展開を必要としている.儲かる会社に転職するのはひとつの行動である.でも,私はそうしたくない.あくまでも今の職場で,甲斐を求めたい.
これが理にかなった自己要求であることを示すのは簡単だ.誰の迷惑にもならないから.むしろ喜ばれさえするだろう.社会で生きる正義に適った堅実な道でこの問題に出会したことは根が真面目である証左である.この問題に格闘するために,今まで重ねてきた考察を活かす手立てが揃ってもいる.これから残りの人生を楽しむためにこの問題を抱えて生きたい.楽しいことは辛いこと苦しいことを内包する.深いことだ.
