明日は晴れるので,代官山の蔦屋書店へ行こうと思う.しかし,見落としている問題がある.行く目的が定まっていないのだ.もちろん,大目的は新しい本に出会いたいから行くのである.数冊を買う準備はしていくつもり.でも,書斎で本を改めて整理してみたところ,既に多すぎるジャンルの本が蔵ってあり,そのほとんどが読みかけであることに気づいたのだ.明日行ったところで何か発見などあるのか,新たに発掘するべきなのか.
今,本棚を眺めたところ,私に語りかけてくれる本が100冊はあった.今すぐ読みなさい,と.そうしていると,本を買う目的がわからなくなる.心を豊かにするとか文化に深く親しむとか仕事や生活の肥やしになるといったことは容易に浮かぶ.これらをより満足させるために本を探すのだ.しかし,探し物は身近にあるという探し物の常に照らすと,明日探したい本は既にこの書斎に並んでいる気がしてならない.
なので,明日出かける目的は,書斎に私の探している本があることを確認しに行くことである.代官山まで行って自分の関心を確認しに行くのである.なんという迂回.この椅子から振り返ればあるものを,わざわざ数十km離れた場所まで行って確認しに行くとは.でも,知的生活の実態ってそんなものだ.自分の関心が徐々に広がる時期は,広がりすぎる自分をしばしば見失うものだろう.つまり明日は自分を探しに行くのだ.
一応付記すると,YouTubeでコーデを学んだファッションを実践する日でもある.また,ひとり東京の街を漫ろ歩きたい欲を叶えるためでもある.目的が複数あるので実行せねばならない.明日見つけに行くのは自分の関心の先端である.意外なジャンルと出会うだろう.その時,本を買うか書斎にあることを思い出すかは未知である.しかし,明日を逃したら当分東京など出かけられないことは確かなことではある.
