楽しみとは何だろう.没頭して時間を捧げるもの.時間を過ごしていることを忘れるくらい楽しめる人には自然な答えだと思う.それで,どうしてこう考えたかといえば,真剣に取り組めば楽しいのか,という問いがわいてきたからだ.真剣に取り組むには,制限しなくてはならない.ひとつに限ることを求められる.しかし,多くをあっさり触れるのが好きな私のような人間には耐えがたい.この点をどう考えたら良いか.
真剣に取り組めば楽しいことはわかる.私の少年時代を振り返ればすぐ諒解する.真剣に取り組めば,できることは増え才能が上がり上達する.これは最高の楽しみ方であることに変わりない.でも,そこまで真剣に制限することが困難な場合もある.やることがいくつも浮遊していて,どれもふわっと親しみたい気分である時だ.この浮遊感で本当に楽しめるとは思われない.でも,気分が落ち着いて揚がるので心地よい.
つまり,真剣さは心地よさを要求しない,むしろ改革を求める.真剣さと心地よさは水と油で相容れない.真剣さは自分を制限し,気分や心地よさを関係させない.大敵であるかのように扱う.何もしない時間こそ人生の最高の贅沢である.しかし真剣さは,その何もしない時間に,課題をもたらしてくれる.もっと向上する術を唆す.心地よく贅沢な時間は,人間を退屈にし,怠惰にもさせる.でも真剣さはその沼から揚げる.
以上,真剣に何かを制作したり練習したりすることの性質を考えてみた.何かを生み出す人や発表する人は真剣である.でも個人的見解では,ずっと真剣で居続けることは可能なのだろうか.休息や憩いの時間を挟まねば疲れて潰れかねない.人間は弛緩と緊張の均衡である.緊張してばかり,弛緩してばかりでは良くない.緊張している時は休息を,弛緩している時は真剣を,それぞれ自分に呼び掛ければ,行動につながる.
