私のことを芸術家と呼ぶ人が何人かいる.高校を2年間で転学し,通信制に通いながら美術の訓練をしていた時期が,私にはある.この1年間は私の人生も思想も幸福をも決定づけた重要な1年で,今でも何も後悔していない.長らく地元に戻っていないが,今でも美術学校時代に見聞きした光景は鮮やかに思い出せる.いくつもの断片がつながり合わないままに美しく映えて,音楽と思想と共に意識の内部で映写される.
渋谷の表参道がわを平日午前に歩いた光景,清澄白河界隈の商店や図書館や美術館の風情,神田の川沿いを文学を読みつつ歩いた思索の思い出.何だろう,今となっては自分を形成した出来事だったと理解できるが,当時のその鋭い感性のまま歩いて受けて考えた時間の濃さは,1年間より明らかに長いものに感じられ,東京や千葉の各所の風景と無数に連なって思い出される.私の世界を形作った全てが詰まった1年間だ.
それだから,普通に高校を卒業し進学就職した人生とは異なる私の生き方は,既に個性的で社会から外れており容易には理解されない.私自身も理解されることは諦めていて,私のその芸術的背景を養った1年間の活動が,私自身から隠れてしまうことがよくある.誰にも理解されないので誰かから理解評価されることを中心に考えると,その1年間の出来事たちの重要性が薄まり否定され忘却されがちになってしまう.
しかし.私にとってのその1年間は私の根幹だから重要だ,そう開き直ってみたくなる.私を見失わないためには一貫した個人史を持てば良いから.その1年間はこの街の光景と結びつけることができるし,今の仕事の創造性の根幹に据えて理解できる.いつも誰もが誤解するだけの思い出であっても,私が自分自身を保つためには持ち直すことが重要なように思える.私は確かにその1年間でできている,これを忘れたくない.
