やりたいことって,どうしてそれをやりたいか,よく考えてみるとわからない.動機に正しさはないと思えればそれで良い.何でも楽しいと思うことをやるだけ.それが一番で,それで充分だとも思える.しかし,仕事としてやりたいことをやっていると,なぜそれが好きなのか,なぜ楽しいと感じるのか,考えることが時々あり,よくわからなくなる.私がそれをやりたいからやっている,そんな仕事で,いいのか.
私がやりたいことに誰かがお金を払うから,私はやりたいことで働けている.ということは,やりたいことの価値を決めるのは自分ではなくお金を払う側ではないのか.誰かに価値を感じるからお金が集まるのだ,誰からも価値を認められないことは,いくら好きでも仕事にはできないのだ.そう考えると,私が好きなことで働けているだけで恵まれている.そして,その理由や周辺の事情を考える必要を感じる.
お金を払う側の人も,お金を得ている以上,誰かからお金を受け取れるような仕事をしている.彼らが皆,必ずしも好きなことを仕事にしてはいないのだろうけど,仕事を得て働いている.だから,好きなことを仕事にしなくたっていい論は,必ず誰かの必要になるほど社会的に重要な仕事を行うことも働くことだ,という論旨を持つ.それは真っ当だし,好きなことが見つからない人や諦めている人はそうやって働いている.
私は別に今の仕事にこだわっていない.今もし仕事を辞めざるを得なくなって,別の職種に移らなければ仕事がない状況でも,私はこだわりなくそうする.今までの仕事には満足しているから,きれいさっぱり足を洗っても趣味に活かせることがわかっているから,潔くそうできる.好きなことを仕事にすれば趣味に活かせる.これが私の仕事の動機であることがよくわかった.それで仕事になっているのが奇跡的である.
