思い出すことがこれほど楽しいとは.私は思い出を今まで軽んじ過ぎていた.軽率だった.経験に投資せよ.という教えの意味が,思い出はいつまでも褪せないから,という事実に基づいていたことを知った.そこで,いざ思い出してみようとしても,記憶はなかなかの断片で,1日に数個のイメージしか得られない.でも,記憶の海からいくつかのイメージを釣れたことは,まさに蒔いた種を収穫したことなのだと思う.
人生の先達が,晩年に思い出の重要性を説いている.病床に臥している時に持てる唯一の財産が思い出であるという.つまり,今まで丁寧に思い出を育ててきた人は,病床に在っても安らかに満足して落ち着けるという.でも,話はそう単純でもなく,後悔を思い出すことも多く,経験の畑から収穫できるものは難しいものもある.でも,思い出がそもそも少ない人も,思い出そうとすれば多くの記憶を引き出せる.
思い出がないということは,もし仮に色々な経験を思い出すようになった時に,その思い出の少なさを後悔するかもしれないのだ.その時から,思い出を大切に育てる人になるのだと思う.思い出は一度きりだが,関係は長く続く.あの人との思い出というとき,その「あの人」は長い間の関係が重要になる.良い思い出はすぐに手に入るものとは限らないのだ.だから,普段から思い出を育むことが重要だと認識できる.
思い出とは,集め直しである.半生分の記憶から引き出せた結果を思い出という.今まで辛い思い出や何も面白くない思い出ばかりならば,その人は実は面白い人生を送れていないのだ.逆に,ある時を境に良い思い出ばかり得られたなら,その人の人生は楽しくなったのだ.思い出で人生の充実は測れる.もっと良い思い出を残せる人になり,良い思い出を与える人にもなりたい.人生の価値を考えた結論である.
