私が神はサイコロを振らないことを証明して3年が経つ.普通なら論文にして公表するだろう.でも,私はこれをしない固い理由がある.誰も得しないからだ.私が論文を公表したとて,誰も何も得しない.それはこの証明の確実性くらい確かだ.人間,有名になるばかりが人生ではない.宝をしまって隠れて生きる人生にも妙味があるはずだ.そして,死後に有名になろうという欲さえ,私からはすっかり消えた.
神がサイコロを振らないかどうかは,私が高校生の時から考えていたことで,社会人4年目あたりで証明が形になった問題である.高校を辞め,職場からも離れ,結婚はしたが時給で働きながら取り組んだ日々.それは幸せだった.そして,当初の想像通り,論理的な証明なので,その達成の輝きは一生ものだ.むしろ,誰かに知られたくないという思いさえ抱く.ひっそりと隠しておきたい秘蔵の獲物なのである.
証明の内容も私に豊かさをもたらした.何せ神の相の下では世界に偶然はないのだ.神のご計画が全てで,偶然とは人間の界隈の勘違いに過ぎない.21世紀初頭まで知識人が常識として守っていた偶然性の問題を,この証明は小さな図で一気にひっくり返す,そんな潜在的な真理性を持っている.今はWEBやSNSで少し公表していて,アクセスも少しあるので,知っている人も少しずつ増えている状況ではある.
この真理性が,人の役に立つ.この確信はある.でも,それを達成した人が若者で,日本人で,21世紀の人間で,と話が大きくなったところで,誰も得しない.特に私のような人格が未熟な人間が法外な名誉を受けたとて,誰も得しない.私の人生を考えてほしい.もう私は細々した収入で,生前の有名と名誉を拒絶し,限られた友人知人たちと静かに暮らすと決めたのだ.もう一度書いておこう.誰も得しないのだ.
