私は高校を転学した時に,仕事ではなく趣味を充実させた人生を送りたいと願った.今日それを思い出した.その願いは充分すぎるほど叶い,趣味の延長で仕事を見つけて今も働いている.まさに理想の生活.低収入だがお構いなし.充実すぎる趣味空間を持つことが,転学した時の決意だった.一線から離れ,仕事での出世や卓越を捨て,美術学校の生徒になった,その決意の道のその先に,今の私の生活がある.
充実した趣味は,多くの幸福を分かち合える.音楽もそう,聖書や数学もそう,他にも時間を潰す技能なら誰にも負けない.私は無駄だと思うことでもやるので,無駄だと滅多に思わない.無駄だと知ってやることはないけど,無駄だと思わないのでやる.その習性のおかげで,高校性の時から意外にも多くの分野に足を踏み入れられた.どれも一人前ではないが,そのほとんどが生涯楽しめる趣味にはなった.
実は冒頭の趣味を生きたいという願いは,長らく自分自身にとっても秘密だった.なぜ自分は今こうなのだろうと考えなければ思い出さなかったことだ.いわば自分への隠し事.自分に隠していたのだから,周りの誰にも見抜かれないできた.今こうして高校生の薄らとした願いが形になり現実になっていることを考えてみれば,思いはその通りに実現するし,その力は自分で幸せを求める力だ.
人間,思ったことが実現すると幸福を感じる.それは誰だって同じ,人間の真理である.薄らでも思ったことを現実にするために生きている.自己実現とはそういう意味である.なぜなら自分の思いが実現すれば満足するし,人生における幸福は満足が重要な鍵になるからだ.自分にはもう隠し事がないと思うなかれ,子供の時の薄らとした思いは,まだたくさん眠っている.隠す理由がない.掘り起こしていこう.
