この世で求めたいことは,神さまに祈り求めた方が確実に与えられる.この世で求めたいことといえば,見栄や承認といった小さく日常的なことから,名誉や富など人生の総体的な栄光までさまざまあると思うが,それらを求める理由は不安や不幸感が募るからだと思う.もしそうであれば,神さまに祈り求めれば,不安は消え,不幸ではなくなる.つまりこの世で欲し求めることの根源が消えるので,結果,得られるのである.
この考えに至ってから,私はこの世で求めたいことが消えた.むしろ,音楽や聖書など,神さまをもっとよく知り,神さまともっと繋がれることに時間やお金を使うようになった.そして,そうしていると自然と物欲が消え,お金が貯まり,時間も捻出できた.つまり欲していた物事が総じて得られたのである.この世で欲する物事があれば,その根源である「欲する理由」を探ってみれば,実際に得なくても叶うとわかる.
欲する物事を直接得なくても叶うなら,買う必要もないし,商品を探す必要もない.安値で買うために時間を捨てることもないし,部屋を物でいっぱいにする必要もない.自分に本当に必要な物は少ない.その最低限の物だけで暮らすなら,追加で買うこともしなくなる.満足するからだ.この世で売っている物をわざわざ買わなくなる.商品を作った労働力には申し訳ないが,買わなくても得られるから買わなくなる.
この世の経済に組み入れられると,半ば自動で色々なものを買わなくてはいけないと錯覚させられる.でも本当は神さまのみ言葉の通り,祈れば何でも与えられるのだ.お金は必ずしも必要ではない.物を得る必要もない.それで物を得た時の,あるいはお金を払った時の,その快感や喜びとは比較にならないほどの満足に恵まれる.それこそお金を払って得たかったことだ.無駄遣いの何と多いことか,生活を見直そう.
