学校では偏差値という単一の尺度があり,わかりやすかった.自分の位置を常に意識させられた.私など大して努力しないでも偏差値70以上を常に出せていたので簡単だった.しかし,社会人になってその尺度は消えた.収入や仕事ができるかに尺度が移り,私は低収入だし仕事に重きを置かない価値観を持っているので,好かれることはないし尊敬を集めることもない.だが,尺度はもっと他にもある.
収入が高いとか仕事ができるという尺度は,ある年齢より上の世代の価値観であるように観察する.私の世代やそれより若い世代は,収入が皆大して変わらないことは普通の認識だし,仕事ができてすごいとも思わない.仕事ができるより感謝する方が大切だし,感謝は比較できない.収入が高くても仕事ができても,一向に羨ましく思わないし,すごいとも思わない.それで何か得なのかと思うだけだ.
今はもう偏差値も尺度として機能しなくなっている.AO入試が半分以上になり,勉強する人は減っている.日本の受験勉強が何の役に立つか疑問だったので,良い流れだと思う.そもそも人と比べられない個性を認め合うことが普通になってきて,比べること自体しない人も増えている.これはすごくいいと思う.会社の高年齢世代が若者を汚しているが,近いうち10年くらいでどの会社も風土は変わるだろう.
何か本の中で主張を見るとき,その著者が属している世代を見ることは重要である.窮屈な主張をしている人は,大抵50代以上だ.就職氷河期を経る前に就職できた人は,大して考えもしないで働いていたのだろう.氷河期を経験した人も,諦めているか自信に漲りすぎているかのどちらかで,世代によって価値観がぱきっと異なっているように思う.私が50代になる頃にはもう少し居やすくなっているだろう.
