自分の殻に閉じこもってはいけないとよく言われるし自分でもそう思う節はあった.でも,そうとも限らないのではと最近は思っている.いろんな場所で高齢者に会うのだけど,毎日が日曜日な彼らのうちで,自分の知識に閉じこもっていても大層幸せそうな表情でいつも暮らしている人が少なくない.彼らはあまり話をしない.でも,趣味のその領域において研究していて幸せであるといったふうで過ごしている.
私は今,合唱団員として仕事終わりの火曜に活動させてもらっている.教会で知り合った師匠の伝手で,何とかオーディションに合格にしてもらったはいいが,やはり音符は読めないし音程も出せなかったので足を引っ張っている.コロナ禍で公演が中止になったのが幸いし,基礎訓練の時期を経て,少しはましになってきたが,昨日の練習で1音が取れなかったことで練習が中断し,監督も匙を投げ呆れていた.
アウェイなのである.私にとって決して得意ではない活動.そんな場に身を置いてから,私の認識は一変し,課題の壁が現れた.それを崩そうとする意味も考えさせられたし,時間の確保は今も満足にできていない.でも,練習すればできそうという希望と,もうついていけないんじゃないかという恐れに毎日駆られ,ある瞬間では楽しく,ある時は絶望と挫折の過去が蘇り,なかなかの苦楽をもたらしてくれている.
自分の得意な範囲に閉じこもるか,新しい環境に身を置くか.どちらが良いというわけでもない.前者なら誇らしさや自尊心を満たせるだろうし,後者なら刺激と好奇心の持続が保証される.私は老いたら前者を選びたい.そのために得意なことを伸ばしておきたいが,アウェイの環境も今は貴重で離しがたい.今はまだ若い.毎日が日曜になるまで,これから30年もある.そんなわけで悩みつつ合唱団員を続けるのだ.
