時間と年齢について考えた連休である.やりたいことは今はないし,これから加齢と共にそれがなくなっていくのは見えている.でもそれでは生きていて楽しいだろうか.今までためてきた知的資産を食い潰すのもありで,基本を学んだ人しか味わえない高みを臨むことが,これからの私の人生なのではないかと思うようになった.それは英語などの外国語,WEBなどのプログラミング,或いは科学であると思う.
押入にとっておいたNature誌の背番を引き出してきて,これを読めるのも今これからの私ならではだと閃いた.これを使って英語力と科学的知識を高めれば,何かの役に立って将来の自分を助けてくれるかもしれないと思った.将来の自分は安定した生活ができる保証が今はない.どんな仕事をして,楽しみはないにせよ,生きるだけの糧や,よく生きる心の健康が守られているかといえば,まだ確証はない.
ゆえに,今の私は幸福であろうと,将来のために努力を続けた方が良い.楽しみが少なくても,楽しくなくても,いずれ楽しいと感じる日は必ず来る.努力は裏切らないと私は経験的に知っている.楽しくなくてもいずれ楽しめるようになる.これはなんでもそうだ.努力に比例してその結果は長く広くなる.だから,今幸せだから何もしないのではなく,幸せで満足だけど努力することを持って努力することが大事だ.
今の私の幸福から鑑みるに,幸せを増大しようということは努力の目的にはなりえない.満足しているのに努力するのは,今の満足の増大のためではなく,満足が消失するかもしれない将来のため.将来も私が今のような幸福で満ち足りた暮らしができるか,それは今の私欲のない努力を続けるかに懸かっている.将来のために節約も食事も変えたのだから,努力もできるようにしたい.ある程度できるから苦しくはない.
