私には思い出がないので,常に今と未来しか思い描けない.思い出す習慣がないだけである.しかし,記憶力が人間の根幹に関わる能力だと思うと,思い出す習慣が記憶を強化する常套であるから,過去も思い出さざるを得なくなる.過去はほんの些細な量しかなく,一面のその一瞬を切り取ったような静止画であればまだ良いが,数秒間の動画ともなれば,付随する感情が湧き立ってきて処理に困る.
過去が良い思い出となっている人なら良い.私は過去を正しく生きられなかった類の人間なので,10代も20代も混迷の時代だったとしか振り返れない.特に20代の迷走は激しく,人間性を決定づけた出来事が数多くあり,過去は容易に変えられない.美化するほどの力も出ないほど,絶望的なのだ.幸い27歳で教会と出会ってから人生は好転し,過去とはいえ感情が薄らいだのは時間が解決した面がある.
記憶力に自信があった時代は,振り返ってみれば苦しんだ時間も長かった.人間が苦しむから解放されるには,記憶力は桎梏になりやすいと私は考えている.基本的に忘れっぽいほうが,楽天的に生きられる.そのほうが周りにも害が少ないと思う.検索しやすくなった現代において,記憶力を高めようとするには思い出すことを身につけねばならないのだろうか,そうでもないだろう.
記憶を美化すると過去の中でしか生きられなくなるという.私の10代はそんな時期だった.しかし,30代の今幸せに過ごしていられるのは,過去を思い出さず,過去を忘れ去り,過去を重視しない,と過去ときっぱり決別して生きているからである.辛すぎる過去を持つ人は美化するだけの過去を持てない.なるほど,いい思い出を作るために生きてこなかったことにも,いい面はあるのだと今更気づいた.
