私の幸福な少年時代を形成した要素のひとつは,クラシック音楽である.父が好きでいつも居間でCDがかかっていた.モーツァルト交響曲第40番など今思えば有名どころを好んで聴いていた.私はそのおこぼれというか,よく耳にしていて,後で振り返った時にそういえば少年の時は幸福だったなと思い返すたびに,交響曲が思い出された.父は高校生の時,吹奏楽部の部長でホルン吹きだったらしい.
というのも,きょうそのモーツァルト交響曲第40番を聴いていて,少年時代の幸福な認識を思い返していた自分を発見した.今もその記憶が続いていることや,これからも少年時代の記憶が付着しているこの曲を聴くたびに,幸福な少年時代を思い起こせるだろうことを嬉しく思った.少年時代の記憶は終わったのではなく,これからも存続するものだと知ったのである.私にも過去があり記憶があったのだ.
今,交響曲を学ぼうとする意欲がわいている.まず定番どころから聴いていって,少しずつ現代の交響曲へ移っていくという,あるオペラ歌手の勧めに従って進んでいく.作曲家が何を考えて作ったのかについて考えながら聴きたいし,単に楽しみたい.ゴールドベルク変奏曲を何百回も繰り返し聴くような私である.交響曲も深く胸に刺さるに違いない.そして,耳を鍛えて合唱団の練習にも活かしたい.
昨日は市内の図書館からドイツ語フランス語イタリア語に関する軽い読み物を7冊借りてきた.いずれも音楽に関わるものだ.近代とは何だったのか,欧州の文明について関心が昔からあるのだが,科学や聖書については詳しくなったが,今度は音楽を通じて何か知見を得られるかもしれない.交響曲もひとつひとつ繰り返し聴いて,深く親しみたいと思っている.幸福な記憶は今まで連続していたのだ.
