この午後の光は,あの教室で見た光と同じなのだ.中学の英語の授業で,成績が良かったので先生に目をかけられていたのだが,外国の映像をモニタで見せられたことがあった.あの光景はアメリカの農場か街の光景だったか定かではないが,異邦の風景を見るのが初めてだったので,その風土への憧れを掻き立てられた.いつか行きたいとまでは思わなかったが,外国に対する関心は強く刻まれた.
高校生の時,美術系建築の修行の門を叩いた時,その憧れは爆発し,東京中の建築物を水彩で描き回った.上野の西洋美術館など,東京にある欧風建築を内部も隈なく観察し,新宿や神田の書店で欧米建築の書籍を買い回って今もまだ持っている.大学院の時,NHKで世界ふれあい街歩きという番組があり好きでよく見ていた.その趣味が続いて当時から今もなお,街歩きが趣味のひとつになっている.
建築が好きという趣味は,当時は造形への興味だったが,今では街並みへの興味に変わった.この一角は何だか気持ちが良いがなぜだろうか,とか歩いていてよく考える.音楽を聴いていると,まるであの交差点を渡っているときの光景のようだ,と重ね合わせることも多い.歩き尽くした街区もあれば,探索したことのない路地もまだ多くある.この街は日本全国でも有名で人気のある地区で楽しみが残る.
今この書斎に当たる日差しは,中学生で見た外国の映像の中の光とそう変わらず,NHKの番組で見た欧州の街の光とも変わらない.時間や空間が異なっていても通じるものがある.高校生の時思い描いた将来とは少し違うけど,今がその逢着点だと思うと,願ったとおりではないけど実現している現在が貴重な気がしてくる.今が一番良いのかもしれない.それ以外に答えなどあるだろうか.主の導きあってのことだ.
